カエルニッキ

ド・ザイナー。

『人生フルーツ』

[映画]『人生フルーツ』


ポレポレ東中野で上映中の『人生フルーツ』を観てきました。愛知県春日井市に住む、建築家・津端修一さん(90歳)、英子さん(87歳)ご夫婦の2年間を丁寧に描いたドキュメンタリー映画です。なんの前情報もなく、ただ、いい映画だったからとオススメされて見に行ったのですが、コツコツと時をためる傑作ドキュメンタリーでした。見終わった後、これほど心が豊かな気分になる映画があっただろうかと思うほど。一言では表せないので、気持ちを整理しながら感想を書いていきます。

ドキュメンタリーなので大まかなあらすじ。


映画の舞台となるのがおふたりのお住まい。自ら建築設計に携わった、高蔵寺ニュータウンに一軒家を構えて40年。修一さんの師であるアントニン・レーモンドさんの自宅にならって作られた平家は天井が高く仕切り壁のない広いほぼワンルーム

お家の窓からは、四季折々に姿を変える風景が眺められる、英子さんの70種の野菜と50種の果実が育てられているキッチンガーデンと、隣には修一さんの作業場になる母屋。始め森かなと思ったのはお庭の一部で、40年の歳月で土を肥やし、森のように膨らんだ雑木林でした。

おふたりの“できるものから、小さく、コツコツ。ときをためて、ゆっくり”と過ごした、日々の営みの最近の2014年-2016年ぐらいの2年間の記録です。

前情報取り入れずに見に行ったので、修一さん英子さんの手作りでなんでもこなす器用さとマメさに驚きの連続です。畑に何が植えらているのか立て札でわかるように、ペンキを塗り、丁寧に一言コメントやイラストを描いた小さな立て札を作業場で作る修一さん。建築業というよりも、創ることが好きな人なのだなあとそこで感じます。筆まめで、よくイラスト付きのハガキや手紙を出していました。90歳とは思えない機敏さです。

実った作物から、和洋食、ケーキまでなんでも作る英子さん。上で修一さんがさくらんぼの枝を下げて、下で英子さんがたわわに実った果実を収穫。さくらんぼはタネを取ってジャムに。桃かリンゴのコンフォートかな?と思えるような土鍋に切った果実を煮込んだシーンもあり、とてもおいしそう! 87歳とは思えない機敏な動きで作物だけじゃなく、編み物、刺繍、はた織りまでなんでも細かい作業をこなします。

冷凍庫には作り置きのパックやポットがみっしりときれいに並んでいて、食卓に出たお料理を「おいしい♡」という修一さんが言うと、にっこり笑う英子さんの姿があって、とても和みます。65年連れ添っていても夫婦でお互いさん付けで呼びあっている心地よい距離感と、膨大なあの料理も冷凍も、コツコツの積み重ねだと思うと、人生の積み重ねの豊かさを感じます。

佐賀県伊万里市精神科病院山のサナーレ・クリニックのお仕事で、「初めから全部空間を埋めるのではなく、空きを作って、植物も小さな苗木を植えて長い年月をかけて変化する風景を作ろう」と提案された内容に、衝撃を受けました。

とかく作品は完成させるもの、完成したらおしまい。と考えてしまいがちで、日々の成長する植物を眺めながら暮らす、積み重ねた年月までを含めるという発想はなかったです。実に風情のある発想。窓から見える風景が毎年変わっていくのを想像したら、日々の営みと合わさってそれはとても豊かなものになるでしょう。「90歳で人生最後の良い仕事に巡り会えました」といって、無報酬でお仕事を請けた修一さん。「高森山どんぐり作戦」からもわかる、修一さんの建築への、ひいては人の暮らしへの目線がわかる逸話です。

パンフレットに載っていた伏原健治監督日誌をみると、三顧の礼よろしく、はじめは修一さんは取材には応じなかったようでした。過去にマスコミに失礼なことをされたのだと憶測をしています。カメラを回さずカメラマンがただお話をする、とか、根気よく距離を置きつつ、1年かけてようやく修一さんからのお礼のメッセージをもらうまでになった、この映画のスタッフ陣もただ者ではないなと思いました。

そのメッセージをもらった1ヶ月後に、修一さんが亡くなってしまいます。その時、やはりどこかあわてている監督から連絡を受けた阿武野プロデューサーが、「亡骸を、葬式を、焼き場を、全部撮影させてもらえるか」「はい。そのようにお願いし、お許しをいただきました」というやり取りで、伏原監督はすごいというコメントを残しています。

昼寝から起きてこなかった修一さんの死に顔はおだやかそのものでした。映画制作スタッフも、コツコツと2年間のロケ、最後には大胆にやり遂げたなと思います。英子さんは、(いろいろ考えて止まるよりも)できることからコツコツやっていきますと、お別れを言っていました。片方がいなくなっても変わらない絆の深さを見ました。

樹木希林さんがナレーションする、人生を豊かにするヒントがたくさん詰まっているご夫婦のお話でした。監督が亡くなった後の修一さんの作業場に入ってみたら、あらゆるものの記録文書が残されていて、「とんでもない記録魔だった」と解釈していました。まるでレベルは違うけどちょっと親しみがわきました。


とりとめなく長くなってしまった。最後までお読みいただきありがとうございました。

2017.12.29