カエルニッキ

ド・ザイナー。

日本海の思い出

寝台特急 日本海が3月17日ダイヤ改正で、利用客の減少と老朽化に伴い定期運行が終了、しばらくは臨時列車で継続というニュースがありました。そういえば高校の京都修学旅行の帰り、日本海側を通って寝台列車で青森まで帰ったなあと、妙に懐かしくなったのでちょっと思い出してみます。

高校の修学旅行というと、かれこれ27年ぐらい前。夜に大阪を出発した日本海は、文字通り日本海沿岸部を通り一晩かけて青森へ。わが校は数車両を貸切り、先生も混ざってどんちゃん騒ぎ。貸切車両とはいえ、一般客のいる車両と隣接していた車両で大騒ぎしていたら車掌さんに怒られ(先生が)、「騒ぎたいやつはこの車両に集まれ!」と、仕切りなおし一般客車両から離れた真ん中編の車両に集められたりした修学旅行の帰り道でした。

そのうち、騒ぎ疲れた私たち数人は静かな一般客車両にうつり、乗車客がほとんどいないことをいいことに適当に席に座ってまったり話をしていたのでした。(当時は座る席の車両もあった)そして、いつのまにか一人のきれいな女の人が同じ車両にいたのに気づいて、私たちは物珍しさで話しかけに行ったのです。

女の人はちょっと前に停車した魚津駅から乗ってきていて、看護婦をしている二十歳ぐらい(うろおぼえ)でした。とても大人っぽくてしなやかで柔らかい物腰で話しやすい女の人で、高校生の血の気の盛んだった頃の私たちは、すっかりその魅力に翻弄され、迷惑をかえりみず、女の人の席の周りに座り込み、写真を撮ったりいろいろ話をしていました。

そのうちみんな寝はじめて、自分と女の人だけが向かいあわせに座り、何を話していたのかは覚えていないけれど、途中ふたりとも黙って、窓から日本海の荒波を見ていたのを覚えています。月の光だけで青白く光って見える波は、激しく岩に砕け散るところまで鮮明に見えて、絵に書いたような見事な波がたくさん見えました。

嫌な顔ひとつぜず、ニコニコ笑って話していたお姉さんですが、「なにしに青森に行くのか」という問いには、ずっとはぐらかされていて、荒波がすごく寂しくも雄々しくみえたりして、このお姉さんが悲しいことじゃなければいいなと思いました。