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『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を観て衝撃を受けた、若松孝二最新作『キャタピラー』を観て来ました。
キャタピラーとは芋虫のこと。戦場で四肢を失った夫・軍神様を、かいがいしく世話をする妻。それは全てお国のためだから。男の子が産めないと非難を浴びるようなご時世。戦場へ赴く若者を大勢で送り出す村人たち、わら人形を使って、竹槍で敵を倒す練習をしているご婦人たち、赤い着物を着てフラフラさまよって「戦争反対」を唱えてるいる脳の不自由な人。本当の気持ちを押し殺して過ごしていた、みんなで監視あっていたかのような風潮は、まるで現代から見たら冗談のようです。
手足はなく、顔にはやけどを負い耳も良く聞こえず言葉も話せない軍神様は、うめき声に近い声だけで、食事をせがみ、尿意を訴え、妻の身体を求める、ただの肉の塊のよう。出兵前には虐待を受けていたらしい妻は、次第にその複雑な心情を、逆転した立場でぶつけ出す。この変化に伴い、徐々に夫も自分が戦火で犯した罪にさいなまれはじめる。交わりのシーンは生々しくエロティックで異様だった。
重いといえば重いけれど、戦争について冗談のような違和感のある部分は、全て当初本気でされていた出来事だろう。ここに監督の訴えたい事が詰まっているのでしょうか。