カエルニッキ

ド・ザイナー。

『聲の形』


『聲の形』を観てきました。観終わったあと、色々つらすぎて、胸をえぐられた気分になりました。いい話ではありましたが、ココロが丈夫な時に見た方がいいと思いました。以下、感想ですがネタバレもあるけど、なんかもう無用な邪気が満載してるのでご注意くだたい。

映画見た後、数日たってから原作のコミックを読み終えました。映画→原作の順で見たので感じ方が逆になると思いますが……。映画は原作に比べてエピソードがだいぶ端折られていましたが、120分によくまとまっていたと思います。

もっと踏み込みたければ原作を読むと、ドロドロした登場人物の心理がもう少しわかると思うし、この映画をまとめるにあたって、制作スタッフの皆さんが作品に深く向きあって作っているのが、とてもよくわかります。

入れてもいいんじゃないかと思ったのが、植野がなぜあのような行動を取ったのかの理由。映画ではそれらしき描写がなく、何となくそうなのかなーぐらいにしか感じ取れませんでした。私が感じ取れなかっただけかも知れません。

ここからは私個人の黒い感情も入った感想になりますが、植野の暴力は目に見えてひどい。自分の大事にしてきたものを壊され、自分が選ばれず納得行かない事態にずっと引きずられ、常に剣を研いでいる状態。けれど、西宮と正面から向き合おうとしていたのも彼女だったのだろうなと思う。

変な話、真からぶつかって分かり合いたい人と、そうでない人との温度差とタイミングってある。

川井は言葉が悪いけれど胸糞悪かった。男はあーゆー見た目弱そうなのが好きだよなーって思う。こんな嫉妬心を引き出してしまう川井という存在の威力。

石田が橋の上でみんなの弱点を見事についてしまうところも、孤立したせいで日頃から人の欠点を観察していたことが決壊してしまったんだと思う。

本当のことだとして、それを図星で言い当てたとして、そこになにがあるんだろう。言った方はすっきりするか。陰口だったら同意を求めてすっきりするか。相手を傷つけて落ち込ませたら気分がいいのか。言われて傷ついた方はたぶんずっと根に持ってる。現実の世界と照らし合わせて思う。

登場人物のココロの加害者と被害者の白と黒の部分を、自分に重ねたりもして言葉にならない思念が渦巻いてしまいましたが、全体的にアニメのかわいい要素が、変に道徳観念の強い社会派映画になるのを防いでいて良かったと思います。わたしはいろんな邪気を受け取ってしまったけれど、何かを啓蒙するアニメではないです。たぶん。

だけど、人が死に至るまでの思考を考え出すと、夜眠れなくなるものです。これが刺さった要因のひとつ。ほんとうに自分でもしょうもないところだとは思う。

普段は薄っぺらい皮一枚ぐらいの感情で書くのですが、いろいろ乱されてスマートな文章で書けなかった感想でした。。

ときに、植野の自転車の後ろに乗ったときの、太ももがセリフを放っていたときの描写が監督の手腕発揮していたと思いました。西宮が告白するときのスカートを握る手とか足とか、京アニのしっかり見ていると見えてくる、細かい描写が好きです。それとゆずがめちゃかわいかった!

写真は入場時でもらった冊子、お母さんがどういう気持でいたのかわかります。

【追伸】あまりにもひどい文章だったのでちょこちょこ直しアップしなおしました。

16.09.23